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斉藤美紀のショパン(熊本、2009年秋) [ピアノ]

斉藤美紀さんはポーランドへの留学から帰ってきたときにこのオーディションがあって受けたのだけれど、演奏に関してはとてもきちんとしていて、それをどのように言葉にしていくか・・というのが課題だった。実際に行ったところでの経験は子どもに対しての訴求力も大きいので、それを活かした構成。
もっと踏み込むといろいろな可能性はあるには違いないけれども、まず第一の基本は、演奏家は自分の大事にしているものをちゃんと子どもに伝えていけばいいのだと思う。ただその技法を身につけないとうまくいかないので、いろいろなテクニックを覚えて行くことが(音楽の勉強と同じように)大事。それと自分の心にどう踏み込んでいくか。別に露悪的になる必要はないけれども、江村哲二が行っていたように、やはり表現というのは身を削ることでもある。自分の心に踏み込むことの痛みを通り過ぎないといけない。
あ、この話は別に斉藤さんに宛てたものではなく一般論であります。

200910あさぎり斎藤.jpg

2009年10月21日 15:15-16:00
熊本県あさぎり町上小学校5年40名
斉藤美紀(Pf)

先生挨拶~呼び込み 
こんにちは
M1 ノクターン
上小学校5年生のの皆さん、こんにちは。私は斉藤美紀と言います。
今日は私が留学していたポーランドの作曲家ショパンとショパンの曲を紹介していきたいと思います
ショパンは何人?(はい、フランス)うん、半分当たっている。お父さんはフランス人お母さんはポーランド人だった。ポーランドってどこかな?<地図で示す>日本からなら12時間くらい飛行機でかかる。ドイツとロシアという二つの強い国に挟まれている。
ショパンは何年くらい前の人?(180年)実は来年でちょうど生まれて200年になる。
若いこと彼は幸せな生活をしていた。優しい感じの人だったらしい。ピアノが上手で作曲もしていた。20歳の時にフランスに留学することにした。でもちょうどドイツに来たときニュースが入ってきて、ポーランドがドイツとロシアに占領されてしまった。革命を起こそうとしていたのが失敗してポーランドという国が無くなる。自分の国が無くなったらどう思うかな・・・
そのときに書いた、とても激しい曲、革命のエチュードを弾きます
M2 革命
聴く前とあとで印象が変わった人?、どうだった?(左手がたくさん動いた)(鳥肌が立つくらいすごい曲だと思った)
そのときの感情が今でも伝わるってすごいことだと思う。
ショパンはそんなことも乗り越えてパリに着く。パリでは貴族の家のホールでピアノを教えたり弾いたりしていた。きれいな曲が多かったのでみんなに喜ばれた。
次に弾くエオリアンハープ。ハープって聴いたことある?春の風がハープを奏でる優雅な感じの曲です。
M3 エオリアンハ-―プ
ポーランドは一年の半分くらいは冬で薄暗い感じがする。それで春へのあこがれが強い。
パリでは一人で生活をしていたけれども、ジョルジュ・サンドと激しい恋に落ちた。
みんなは失恋とか悲しい思いをしたことがあるかな?。私はポーランドに留学してのだけれど、一人で、マイナス30度とかの寒くてくらく、寂しい思いをしたときにこの曲が浮かんできた。それでショパンの気持ちもわかったような気がした。夜の道をとぼとぼと歩いているようなイメージ。ではその曲を弾くのであとで感想を聞かせて・・
M4 ノクターン
何か思いが浮かんだ人?(どんどん暗闇にむかっている感じ。いくつか)
そう、これは彼が死ぬ1年前の曲。彼は死ぬまで故郷に帰れなかったけれど、ショパンの心の中には常にふるさとのポーランドのことがあった。「心臓だけはポーランドに残してくれ」と遺言した。墓はパリで良い心臓だけは・・今も心臓はポーランドにある。彼の国への感情を感じて貰えたかと思う。
最後の曲は幻想即興曲。いろいろな思いが詰まっている華やかな曲で終わりたい。
M5 幻想即興曲

お礼の言葉

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