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堤剛さんの学校公演 [弦楽器]

この催しものをアウトリーチというカテゴリーに入れて良いものかどうかはわからない。そのことについてはもう一つの方で少し書いたのでここでは書かない。
とはいえ、堤剛さんの話は中学生相手としてトークの王道的内容。他の人にない切り口があり、さすがに世界を日常的に動き回って活躍している人ならではの話しと思った。勉強になる。時々整理しきれていないところがあるにしても、よく見るときちんと話しの筋立ては出来ているし、話し慣れないという本人の話が信じられないほどであった。アウトリーチの参考になると思う。

IMG_3357.jpg

2010年10月30日(土) 11:00-12:00
堤剛(チェロ)+小森谷裕子(ピアノ)
長崎県長与町 長与第2中学校  講堂(長与第2中学校の30周年記念の記念式典と公演)
生徒は約700名ほど、来賓、先生、父兄などで150名ほど。

先生の話
演奏家入場
おはようございます。30周年に呼んで頂いてうれしく思います。私は鹿児島県の霧島音楽祭の音楽監督もしていますが、昨年30年を迎えました。それに実は今日はピアノの小森谷さんの誕生日でもありまして、めでたいことが重なっているなと思います。今日は話しをしながらコンサートを進めたい。第1曲目はベートーヴェン。有名、偉大な作曲家ですね。運命はだれでも耳にされていると思いますが、彼はドイツのボンという、西ドイツだった頃の首都だった小さなきれいな町に生まれました。そしてそこで音楽家を志す。でもその頃は文化の中心はウイーンにあった.なので彼もウイーンに18,9の時に息ました。
その頃音楽で身を立てるのは大変。楽譜を売って、ということはそんなに出来なかった。どうやって生計(なりわい)を立てていたか?
一つは教会や学校でやって居たまじめな音楽、もう一つは今で言うロックやBGMのような音楽があったけれども、今名前を残している人はほとんど教会に属していた、合唱隊とかミサとを教えたりやったりした。また作った音楽は貴族に捧げたりしてそれでお金を貰ったり、そういう生活だった。また演奏家は貴族のサロンに行って演奏をしていた。ベートーヴェンも最初はピアニストとして演奏をした。
その頃ウイーンで流行していたモーツアルトの魔笛と言うオペラのアリアをつかって7つの変奏曲を作った。彼が21-22歳くらいの時の曲です。
M1 ベートーヴェン:魔笛の主題による7つの変奏曲
変わっていったなと感じてくれたと思います。次はバッハ。音楽の父と言うくらい今の音楽の基礎を作った人です。チェロのために作った組曲が6曲ある。チョロに付いているこの足、エンドピンはその頃はなかったので、膝で挟んで支えていた。チェロはヴァイオリン族でその前に発達した楽器にヴィオール族というのがある。そのヴィオラダガンバというチェロに似た楽器があるが、そのガンバというのは膝という意味。チェロも昔は膝で支えていたのだけれど、ベルギーのセルベという人がいて、彼は背が低かったので膝で抱えるのが大変だった。それも彼の持っていたストラディヴァリウスは大きめの楽器だったので、「どうしよう」といろいろ考えて、最初は台の上に置いたりしたのだけれど、そのうちエンドピンというものを思いついた。それが少しづつ改良されて今のチェロになっている。バッハの組曲は踊りの曲。ブーレも二つのちがった踊りがあって、1,2とあるのでその違いも聴いてください
M2 バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番からブーレ1,2
途中でちょっと変わったのがわかったでしょうか?
私のチェロはモンターニャというイタリアで作られた楽器。1733年に作られた。実は今弾いた曲が作られたのは1729年くらいで年齢はあんまり変わらない。作品も楽器も今に残っているというのはすごいことです。でも木で出来ているので今でも生きている。どうしてわかるかというと、湿度、気温によって楽器が左右される。木は水を吸って胴体が膨らんだり乾燥して縮む。それをどこで調節するかというと、ここに音を出すのにとても大事な駒というものがあって、この駒をいくつか持っていて高めにしたり低めにしたりする。私は今は中間くらいのものを使っている。
弓はベルナンブコという木で出来ていて、それはブラジルでしかとれない。今は手に入りにくくなってきたがその木が一番良いとされている。振動を良く伝えてくれる。最近、取りすぎで無くなりそうだと思われていたが実はまだあった。それはかつて鉄道の枕木に使われていたのだ。それが残っているので、もう少しは大丈夫らしい。中国では竹で作ったりもしている。毛は馬のしっぽ。これも湿度でずいぶん変わる。だから弦楽器奏者は天気のことがよくわかる。
次はフランスの歌、シャンソンともいわれる。カザルスがチェロに編曲して有名になったが元々は歌詞がある。詩に合わせて気持ちが高ぶったり鎮まったりする。それが感じられるかもしれない。では夢のあとに。
M3 フォーレ=カザルス:夢のあとに
少し悲しい曲ですね。
私が今日ここに来たのは文化庁の「夢なんとか」というプログラムできた。文化庁の審議委員もやっているけれども、そこではこんな事を話している。「地域に根ざした文化も大事にしていこう」というのが今の流れ。だから今日私の前に日本の神楽をやったりというのは良いと思う。何故こういう話しをしたかというと、次の曲と関係がある。倉敷に大原総一郎さんという人が作った美術館がある。でも彼は音楽も大好きで、世界に行くとウイーンとかザルツブルクとかのホールに彼が寄付をしていたことがわかる。それで日本人というのはすごいなと思われていたと思うとプライドを感じてうれしくなる。その美術館のために黛敏郎さんが書いた曲で、BUNNRAKU。伝統楽器に密着していて、拍子木や三味線、横笛、琴の音などが聞こえてくる。今まで弾いていたのとちょっと違った曲でテクニック的には三味線の技術をチェロに使ったような感じがする。こんなことも出来る・・と思えると思う。
M4 黛敏郎:BUNRAKU
どうでしたか? 日本で言う謡とかのような部分もあって身近に感じられたのではないかと思います。三味線は弓を使わないではじくだけ。チェロではこれをピチカートという。イタリア語。音楽の楽譜はほとんどイタリア語なのは何故かというとヨーロッパの歴史は長い間ローマ法王と教会が支配していた。そのことが窮屈になってルネッサンスがおこった。ルネッサンスは再び生きていく、生き返る、英語で言うとリボーンという意味の言葉。それがイタリアで始まった。音楽も合唱も弦楽器もそこで発達した。この楽器もヴェニスで出来た楽器。それでイタリア語が残っている。
次の曲はまたがらっと変わってサンサーンスの白鳥という曲です。小学校の鑑賞でも聴いていると思う。湖で白鳥はすいすいと泳いでいるのをイメージして聴いてください
M5 サンサーンス:白鳥
この欲には動物がたくさん出ている動物の謝肉祭という今日の中の一曲です。元々はチェロとピアノ2台で弾く曲だけれど、今日はピアノ1台でお願いした。最後はスペインのカサド。彼はカタロニアの生まれ。オレンジが美味しいし魚も美味しいところ。ピカソもカタロニア生まれです。さっき話したカザルスの高弟でかれが先生にありがとうと尊敬の気持ちを込めて書いた曲です。闘牛やフラメンコの華やかな感じがするかもしれない。
M6 カサド:親愛なる言葉
拍手
アンコール  もう一回白鳥
お礼の言葉
花束
退場

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